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「紀伊国屋文左衛門―元禄豪商風雲録」 (広済堂文庫) (文庫)

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紀伊国屋文左衛門―元禄豪商風雲録 (広済堂文庫)

紀伊国屋文左衛門
(きのくにや ぶんざえもん、
寛文9年(1669年)? - 享保19年4月24日(1734年5月26日)?)
日本の江戸時代、元禄期の商人。
元姓は五十嵐氏。名は文吉。
俳号は千山。略して「紀文」と呼ばれ、「紀文大尽」と言われた。

ミカンが大豊作だったが、
その年の江戸への航路が嵐で運べなくなりミカンが余り、
上方商人に買い叩かれ、価格は暴落した。

当時江戸では毎年「ふいご祭り」(鍛冶屋の神様を祝う)があった。
鍛冶屋の屋根からミカンをばら撒き、
地域の人に振舞う風習があったが、
紀州から船が来ないため、ミカンの価格が高騰していた。

高松河内(玉津島明神の神官で舅)から借金してミカンを買占め、
大船を修理し、嵐の太平洋に出航した。
「沖の暗いのに白帆が見ゆる、あれは紀ノ国ミカン船」と
カッポレの唄に残ったらしい。
江戸でミカンは高く売れ、嵐を乗り越えて頑張ったと、
江戸っ子の人気者となった。

大洪水のため上方で伝染病が
流行っていると知った文左衛門は、
江戸にある塩鮭を買占め、
先に上方に「流行り病には塩鮭が一番」と噂を流した上で、
上方に戻った。

噂を信じた上方の人々に塩鮭が飛ぶように売れ、
紀州と江戸を往復し大金を手にした文左衛門は、
その元手で江戸に材木問屋を開いた。

江戸城をも焼いた明暦の大火の際には、
木曾谷の材木を買占めて一気におよそ百万両を手にした。

小商人から豪商へと出世し、富と名声を掴んだが、
晩年、全財産をつぎこんだ十文銭の鋳造事業の失敗し、
乞食同然の生活となり哀れな晩年を送った、と言われている。  

先日、江東区深川に成等院にある紀伊国屋文左衛門の墓を見てきました。
野村吉三郎氏の揮毫による大きな石碑や、
木場で材木商を営む和歌山県出身の方々が追善供養された石柱があります。

周辺には、かつて紀伊国屋文左衛門の屋敷が
あったと言われる清澄庭園、江戸資料館もあります。

墓所
成等院(東京都江東区)
勝楽寺(和歌山県有田郡湯浅町)
戒名 - 帰性融相信士
紀伊國屋文左衛門生誕の碑(和歌山県有田郡湯浅町) 松下幸之助が建立。





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Author:紀伊国屋文左衛門
東京で、映画、テレビ(ドラマ・バラエティ)、インターネット、モバイルの、お仕事をしています。






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